2023年2月1日(水)
『二つの世界』
ロシア共産主義の黎明期、ラビ・ジョセフ・シュニアソンという、ハシディズム〔訳注 ユダヤ教の敬虔主義〕の指導者がいた。
信仰のために迫害を受け、刑務所で多くの時間を過ごした。
1927年のある朝、レニングラードのシナゴーグで祈っていたラビを、突入した秘密警察が逮捕し、警察署に連行した。
宗教活動をやめろと迫る取調官に、ラビは屈することはなかった。
取調官はラビの顔に拳銃を突きつけると言った。
「このおもちゃは多くの人間の心を変えさせてきたんだ。」
ラビ・シュニアソンは答えた。
「このおもちゃが脅せるのは、多くの神々と一つの世界を信じる人だけです。
私は唯一の神と二つの世界を信じているので、このおもちゃに心を動かされません。」
「二つの世界」や二つの国というテーマは、イエスの話にたびたび登場し、ル力の福音書16章の二つの物語が、この二つの世界の違いを鋭く描き出している。
賢く行動した不正な管理人の話をしながらイエスは言われる。
「人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです」。
二つめはある金持ちとラザロの話だが、二つの世界の価値観の違いが詳しく述べられる。
金持ちはこの世で贅沢に遊び暮らしているが、永遠のいのちに入る準備をしておらず、その結果をこうむる。
一方、人生の失敗者と考えられ、ひもじい思いをしていた物乞いの男は永遠の報いを受ける。
イエスはこうした話を、英雄といえば伝統的に裕福な族長、強大な王、勝利者と考えていた聴衆に向かって語られる。
この世で何の価値もない人々(ラザロのように、貧しく、虐げられた人々)のほうが、神の国では名声を得るのかもしれない。
イエスは終始、未来に良きものを得るために過ごす場として、目に見える世界を提示しておられる。
来たるべき人生のために宝を蓄える場として描いておられる。
二つの世界を結び合わせるイエスのこんな問いかけがある。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか」。
God Bless You!!
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