2023年11月4日(土)
『あわれみという武器』
ここまでに明らかになっているように、神の恵みを差し出すことが、クリスチャンの主たる貢献だ。
ゴードン・マクドナルドによると、教会にできて、この世にできないことはないということだが、一つだけできないことがある。
恵みを現すことだ。
私の見解では、この世に恵みを与えるクリスチャンの働きは不十分で、特に信仰と政治の領域でつまずいている。
イエスは個々人に愛を示されるとき、どんな制度にも邪魔をさせなかった。
ユダヤの人種政策、宗教政策は、サマリアの女と口をきくことを禁じていた。
波乱万丈の道徳的経歴をもつ人間になど、いわずもがなだった。
しかし、イエスはそんな人間の一人を宣教師に選ばれた。
弟子の中には、イスラエル人から裏切り者と見られていた取税人や、超愛国的な熱心党員もいた。
イエスは反体制的なバプテスマのヨハネを称賛された。
律法を厳守するパリサイ人ニコデモや、ローマの百人隊長ともお会いになった。
パリサイ人シモンの家で食事をし、「汚れている」とされたツァラアトに冒されたシモンの家でも食卓につかれた。
イエスには、どんなカテゴリーやレッテルよりも人間のほうが大切だったのだ。
政治問題で両極のいずれかへ押し流され、ピケの向こう側にいる「敵」に向かって叫ぶことは、いかにも簡単だ。
しかしイエスは「なんじの敵を愛せよ」とお命じになった。
では、私の敵とはだれだろうか。
人工妊娠中絶支持者だろうか。
米国文化を汚しているハリウッドのプロデューサーだろうか。
私の道徳原理を脅かす政治家だろうか。
スラム地区で幅を利かせている麻薬密売組織の大物だろうか。
こうした現状を改革しようとする動機がどんなに良いものであっても、その思いが愛を追いやるなら、イエスの福音を誤解していたことになる。
恵みの福音ではなく、律法に縛られている。
社会に現れている問題はきわめて重要であり、文化闘争はおそらく避けられないだろう。
しかしクリスチャンは別の武器を手にして戦うべきだ。
ドロシー・デイは、それを「あわれみという武器」という素晴らしい言葉で表現している。
イエスは、私たちは他の人々とは全く異なるしるしをもつべきだと言われた。
政治的な正しさや道徳的な優越性ではなく、愛をもて、と。
パウロは、信仰の奇跡であれ、神学の輝かしさや個人の熱い犠牲であれ、愛がなければ、私たちのすることは何の役にも立たないと言った。
God Bless You!!
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