2023年10月4日(水)

2023年10月4日(水)


『抜け穴』

「神の恵みを放縦に変え」ることは可能だ、と聖書の記者ユダは警告している。
こうした狡猾な考えは、まず心の奥底で形づくられる。

「自分が求めているのはこれだ。
確かに、良くないことだとわかっている。
でも、とにかくこのままやってみよう。
あとで必ず赦してもらえるし。」

この考えが膨らんで、頭から離れなくなり、恵みは「不道徳へのライセンス」になり果てる。

クリスチャンはこの危険にいろいろな仕方で対処してきた。
神の恵みに心酔していたマルティン・ルターは、恵みが乱用される可能性をときには一蹴した。

友人のメランヒトンにこう書いている。
「あなたが恵みを説く牧師であるなら、まがいものの恵みではなく本物の恵みを伝えなさい。
そしてその恵みが真実であるなら、まがいものの罪ではなく本物の罪を伝えなさい。
罪人でありなさい、そして元気に罪を犯しなさい。

……私たちが豊かな神の栄光を通じて、この世の罪を背負った子羊を知れば、それで十分です。
罪がこのことから私たちを断ち切ることはありません。
たとえ私たちが姦淫や殺人を一日に何千回犯したとしても、です。」

クリスチャンが姦淫や殺人を一日に何千回も犯すかもしれないという話に仰天し、誇張表現だとルターを非難する人たちもいた。

聖書は結局のところ、罪に対し、癒す力をもつものとして恵みを描いている。
この恵みと罪は同じ人間の中でどう共存できるのか。

ペテロが命じているように、私たちは「恵み……において成長」すべきではないのか。
神の家族として、神にますます似ていくべきではないのか。

ウォルター・トロビッシュによると、「キリストはありのままの私たちを受け入れるが、キリストが私たちを受け入れると、私たちはありのままではいられなくなる」

二十世紀の神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーは、恵みの乱用を要約する一手段として「安価な恵み」という言葉を作り出した。

ナチス支配下のドイツに生きた彼は、クリスチャンがヒトラーの脅威に怖気づいているのを見て愕然とした。

ルター派の牧師は日曜ごとに説教壇から恵みを説いたが、週日は、ナチスが人種差別や安楽死、ついには大量虐殺の政策に走っても、押し黙ったきりだった。

ボンヘッファーの著書『キリストに従う』は、きよさに到達するように命じている新約聖書の多くの言葉を強調している。

ボンヘッファーは、回心への招きはみな、弟子となること、キリストのようになることでもあると主張した。

God Bless You!!


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