2023年10月28日(土)
『しわだらけの写真』
ある休日、千キロほど離れたところに住む母を訪ねた。
母と子がよくするように、二人で遠い昔の思い出話をしていた。
突然、大きな箱が棚から落ちてきて、古い写真が散乱した。
私の子ども時代から青春時代までを物語る写真の山だった。
カウボーイやネイティブアメリカンの格好をした写真、一年生の劇でピーターラビットの衣装を着た写真、子どものころ飼っていたペットの写真、いつ終わるとも知れなかったピアノの発表会の写真、小・中学校から高校、そして大学の卒業式の写真。
それらの中に、幼子の写真があった。
裏に私の名前が書かれていた。
何の変哲もない写真だ。
私はどこにでもいる赤ん坊だった。
ふっくらとした頬、半分しか毛が生えそろっていない頭、いかにも手に負えなさそうで、目はどこを見ているかわからない。
だがその写真は、ペットがくわえていたのではないかと思うほど、しわだらけで、ところどころ破けていた。
ほかにきれいな写真がいくらでもあるのに、どうしてこんな写真を取っておいたのかと母に尋ねた。
私の家族について知ってほしいことがある。
私が生後十か月のとき、父は脊髄性ポリオに罹り、三か月後、私が一歳の誕生日を迎えた直後に亡くなった。
二十四歳で全身が麻痺し、筋肉が極度に弱ったので、呼吸を確保するための鋼製シリンダーの中で過ごさなければならなかった。
見舞いに来る人はほとんどいなかった。
1950年当時の人々は、ポリオに対して今日のエイズと同じくらいの恐怖心を抱いていたからだ。
見舞いに来ていたのは母だけで、いつも同じ場所に座っていた。
そこに座ると、人工肺の脇に取り付けた鏡に母の姿が映り、父に見えるからだった。
母はその写真を、遺品として取っておいたと言った。
父が病床にある間、その写真はずっと鉄の肺に付けられていたからだ。
妻と二人の息子の写真を欲しがる父のために、母は写真を金属のでっぱりの間に押し込んだ。
それで、私が赤ん坊のときの写真はしわくちゃになっていたのである。
〔10月20日に続く〕
God Bless You!!
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