2023年10月26日(木)
『驚くべき祈り』
バイブル・カレッジは私にとって、疑念と懐疑主義を養う場だった。
当時は、「霊的な」行動を真似することで学生生活をなんとか送っていた。
学生は良い成績を取らなければならないからだ。
その中に「キリスト者としての奉仕」という鼻持ちならない課題があった。
学生はみな、路傍伝道や刑務所伝道、老人ホーム訪問等の奉仕活動への定期的な参加が求められていた。
私は「大学での奉仕」に登録した。
それで毎土曜日の夜、サウス・カロライナ大学の学生センターを訪れてはテレビを見ていた。
「証し」が義務づけられていたため、その翌週、自分の信仰について語った人たちのことを律義に報告していた。
私の尾ひれのついた話は、さぞ本物らしく聞こえたことだろう。
だれも質問をしなかったからだ。
「大学での奉仕」に参加していた四人の学生とともに、週一回の祈禱会に出るようにとも言われていた。
祈禱会はあるパターンに沿って行われた。
ジョーが祈り、クレイグ、クリス、もう一人のジョーが祈る。
それから四人は十秒ほど静かに口をつぐむ。
だが、私は祈らなかった。
しばらくの沈黙があって、みな目を開け、それぞれの部屋へ戻って行った。
ところが二月のある夜、私自身も含めて皆が驚くことが起きた。
そんな私が祈ったのだ。
なぜだか今でもわからない。
祈るつもりなどなかった。
だが、ジョー、クレイグ、クリス、ジョーのあと、私は声を出して祈っていた。
「神様」と。
部屋の中に緊張が高まった。
こんなことを言っていたように思う。
「神様、ここにいるぼくたちは、地獄へ行こうとしているサウス・カロライナ大学の一万人の学生のことを思うよう求められています。
でも、あなたはご存じです。
彼らみんなが地獄に行こうが、一人だけ地獄に落ちようが、ぼくはどうでもいいと思っていることを。
ぼく自身が地獄に落ちてもいいと思っていることを。」
この言葉が他の学生にどう聞こえたかを理解するためには、バイブル・カレッジに行ってみることだ。
私は呪文を唱えたり、子どもを犠牲に献げたりしたも同然だった。
ところが、だれも動揺したり、私を止めようとしたりしなかった。
それで私は祈りを続けた。
〔10月27日に続く〕
God Bless You!!
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