2023年10月23日(月)
『真の告白』
詩篇51篇は回想の詩篇だが、ダビデがバテ・シェバとの不祥事を印象深く綴ったものだろう。
王が私生活で犯した道徳の罪を預言者に告白することと、その告白の詳細を作品にして国中で歌われるようにすることとは、まったく別の話だ!
どこの国にも英雄がいるが、その英雄の失敗を叙事詩にしたのはイスラエルだけだろう。
この雄弁な詩篇は、告白を導くために礼拝で使われた可能性があるが、イスラエルが最終的にダビデをその政治上の業績よりも、神への献身という点で記憶にとどめたことを伝えているのだ。
この詩篇は読者(または歌い手)に一歩一歩、悔い改めの段階を通らせる。
それはいくたびも心に再現している様を描いている。
「ああ、もう一度やり直すチャンスさえあれば」
心をさいなむ罪意識、羞恥心、最後はまことの悔い改めから生まれる新たな始まりへの希望、と。
ダビデは旧約聖書の律法の下で生きており、律法は彼の犯した罪に厳罰を定めている。
けれども、詩篇51篇は注目すべき仕方で、神との「関係」が壊れるという罪の本質を明らかにしている。
「私はあなたに ただあなたの前に罪ある者です」とダビデは叫んでいる。
どんな儀式によるいけにえも、宗教儀式も自分の罪意識を消しはしないことを理解している。
神の求めるいけにえは「砕かれた霊。打たれ 砕かれた心」だ。
ダビデにはその心がある。
ダビデは祈りの中で、自身の悲劇から生じる可能性がある良きものを探し、一縷の光を見いだしている。
その経験を他者のための道徳の教訓として用いてくださるようにと神に祈っている。
ダビデの犯した罪の話を読んだ人たちが、同じ陥穽を避けることができるかもしれないし、ダビデの告白を読んで、赦しの中に希望を獲得する者がいるかもしれない。
ダビデの祈りはしっかりと応えられ、王としての最大の遺産となっている。
イスラエル最高の王は、最大の罪を犯した。
けれども、ダビデをはじめだれもが、神の愛と赦しの届かぬほど堕ちることはないのだ。
God Bless You!!
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