2022年7月12日(火)

2022年7月12日(火)


『私たちはみな……キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。』エペソ人への手紙4章13節


聖書が語る回復とは、人類全体と神との関係が本来の姿に戻ることである。
これこそ、イエス・キリストが、贖いによってしてくださったことである。

教会が自分の組織をいかに伸ばすかということだけにあくせくするなら、もはや霊的なものではなくなっている。

イエス・キリストのご計画による人類の回復とは、個人として、また集団として、イエス・キリストを現実の生活で現していくことである。
イエス・キリストが使徒たちや教師たちを派遣されたのは、そのためである。

私たちが今ここにいるのは、自分自身の霊的生活を向上させるためではないし、霊的な休息を楽しむためでもない。
キリストのからだが建て上げられるために、イエス・キリストを現実の生活で現していくためなのである。

私はキリストのからだを建て上げているのだろうか。
それとも、自分が個人的に成長していく機会を求めているだけだろうか。

大切なのは、私とイエス・キリストとの個人的な関係であり、私自身がキリストご自身を深く知ることである。

神のご計画を全うするためには、自分をまるごと神の御手に委ねなければならない。
私が自分のために何かを求めるなら、キリストとの関係は歪んだものになる。

イエス・キリストを現実の生活で現していくことには無関心でいながら、キリストから受けた恩恵に関心があっただけ、ということに気づいた時には、どんなに恥ずかしい思いをしなければならないことだろう。

私の目当ては、神ご自身
喜びでもなく、平安でもなく
祝福ですらなく
神ご自身
(フレデリック・ブルックによる讃美歌の一節)

私の人生はこれが基準だろうか。
それともそれ以外のものが基準だろうか。

God Bless You!!


a:24 t:1 y:0