2022年4月2日(土)

2022年4月2日(土)


『主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。』使徒の働き9章17節


パウロは視力を授かると、イエス・キリストがどういう御方かを理解する霊的な視力をも授かった。
その後のパウロの人生と宣教は、イエス・キリストにすべてが費やされた。

「なぜなら私は、あなたがたの間で、ィエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです」。

パウロは、イエス・キリストの御顔以外のものに、自分の心やたましいが捕らわれるのを拒んだのである。
私たちもまた、イエス・キリストが幻の中に示された新しい人格を、少しも損なうことなく保つように心がけなければならない。

霊的な人にいつまでも残る特徴は、自分の人生に主イエス・キリストを人生にお迎えしたことの意味を正しく理解できていること、また人々に対する神のみこころを説明できることである。
その人の人生を支配するのは、イエス・キリストへの熱情である。

あなたがこのような特徴を持った人に会えば、まさしくその人こそ、神の心にかなう人である、と分かる。

イエス・キリストという御方を洞察する目が、いかなるものによっても逸らされることがあってはならない。
それこそはあなたが霊的であるかないかを見極めるテストである。
霊的でない、というのは、他のいろいろな事がますます魅力あるものになっていく、ということであるからだ。

ずっとイエスを見つめていたため
他のものはすべて見えなくなってしまった
私の霊の目はまるで鎖でつながれたように
十字架にかかった方を見つめている
(メアリー・ジェイムズ 1871年)

God Bless You!!


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