2022年11月6日(日)
『あなたは、このことを信じますか。』ヨハネの福音書11章26節
マルタは、イエス・キリストには思いのままに行使できる偉大な力があることを信じていた。
だから、もしイエスがその場にいてくださったなら兄弟ラザロを癒やすことができたはずだと思った。
また、イエスは神と特別に親密な関係があるがゆえに、イエスが願えば何でもかなえられると思った。
しかし、マルタにはイエスとの、もっと親密で個人的な関係が必要だったのである。
マルタの信仰の学びが完了するのはこの後のことであった。
イエスはマルタを導き、ついにはその信仰が彼女自身のものとなるようにしてくださったのである。
すると、その信仰はマルタの霊的資産としてゆっくりと姿を現した。
「はい、主よ。
私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております」。
主があなたをお取り扱いになるときにも、それと似たことがあるのではないだろうか。
イエスは、あなたがイエスご自身ともっと親しい関係に入るようにあなたを育んでおられるのではないだろうか。
「このことを信じますか」というイエスの質問から逃げてはいけない。
あなたを苛んでいる疑いとは何か。
あなたもマルタのように、耐えがたい出来事に遭遇したことによって、知識としての信仰が、自分自身の個人的な信仰に変容しようとしているだろうか。
こうしたことは、個人的な悩みを抱えて、自分自身が必要に迫られないかぎり、決して現実とはならないものである。
信ずるということは任せきることである。
知的な学びにおいて信ずるというのは、自分が信じたことに矛盾するものは何であれ排除するということである。
個人の信仰において信ずるというのは、自分が確信する道に良心をもって従い、それ以外のいかなるものとも
妥協しないということである。
そして、自分自身の信仰において信ずるというのは、自分自身を霊的にイエス・キリストにおゆだねし、主以外のものによって支配されないと決めることである。
そのようにしたとき、私がイエス・キリストと向き合い、「あなたは、このことを信じますか」と問われても、信仰とは息をするのと同じぐらい自然なものであることに気づかされる。
そして、なぜもっと早く主を信頼しなかったのだろうと、自分の愚かさに愕然とするのである。
God Bless You!!
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