2022年1月4日(火)

2022年1月4日(火)


『ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。」』ヨハネの福音書13章37節


自分のしたいことをなぜしてはいけないのか理解できない、という時がある。

神が私たちに「空欄」を提示されるときは、そこに何も書き込んではならない。
ひたすら待つことである。

その「空欄」は、あなたに聖化の意味を教えるためのものかもしれない。
あるいは聖化の後、神に仕えることの意味を教えるためのものかもしれない。

神の導きより先走りしてはならない。
ほんのわずかでも疑いが生じたら、神の導きではない。
疑いがあるときは、実行に移してはならない。

信仰生活の初期は、神のみこころがはっきりと分かるかもしれない。
神が望まれない友人関係を断ち切ること、神が望まれないビジネスの人間関係を清算することなど、神がみこころを明確に示しておられる、とあなたが感じることなどである。

しかし、決して一時的な衝動で行動してはならない。
そんなことをすれば、次々と問題が生じ、その解決のために何年もの歳月を要することになる。

神の時がやって来るのを待て。
そうすれば、神は、私たちが心痛も失望も味わわなくてすむように取り計らってくださる。
ましてや神の摂理に関わる大きな事柄の場合には、神が動いてくださるのをひたすら待つことである。

ペテロは神を待とうとしなかった。
そして試練がどこにやって来るか、自分の頭で予想を立てた。
ところが、まさかと思うところに試練はやって来たのである。

「私はあなたのためなら、いのちも捨てます」とペテロは言明したが、それは正直であったにせよ、無知のなせるものだった。

イエスは答えて言われた。
「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」と。
これはペテロ自身よりもっとペテロをご存じの御方だからこそ言えることばであった。

ペテロは結局、イエスについていくことができなかった。
自分自身のことも、また自分に何ができるかも分かっていなかったからである。

イエスに惹かれ、魅了されるという程度であれば、生来の性質による献身でも、十分かもしれない。
しかし、それでは決して弟子になることはできない。
そのような「献身」では、いつかどこかで必ずイエスを否む結果となるからである。

God Bless You!!


a:22 t:1 y:0