2021年9月16日(木)
『金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。』ヘブル人への手紙13章5節
ロンドンにジョージ・ミュラーという牧師がいた。
孤児の父と言われた人であり、日本の孤児のために生涯をささげた石井十次は、彼の生き方にならったのである。
ミュラーは、ひと言で言うなら、祈り一つで何千人という孤児を養った人である。
彼が絶えず口にしていた愛唱の聖句は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」であった。
彼は、たくさんの子どもをかかえて、彼らに衣食住を与えなければならなかった。
私たちは二人、三人の子どもを養うだけでも懸命になっているが、一人が何千人を養うのは人間の業でできることではない。
彼はよく病気をした。
病気をするほど祈った。
彼は祈るが、神はぎりぎりのところまで与えてはくださらない。
しかし、おそすぎることは決してなかった。
これだけのお金が必要ですと祈っていると、きちっと与えられた。
彼の生涯を読み、私が打たれたのは、彼が全世界から送られてくる献金に対して、一つ一つ祈りをもってきちんと感謝の領収書を出したことである。
神にささげるべきお金を預かり、神のために使わせていただくというはっきりした信仰があったのである。
ミュラーはその会計の中で、神は決しておそすぎることはないということを何度も体験した。
「あなたを離れず、あなたを捨てない」の御言葉どおりであったわけである。
神は捨てない。
人は悪意を持ち、捨てるかもしれない。
しかし、神は捨てない。
神の前に正しい生活をしていれば、人は私に何をなしえようか、なのである。
私たちは知らず知らずに人を恐れ、それゆえにさまざまな思いわずらいを繰り返す。
アシュラムの運動にもさまざまな非難や中傷があった。
しかし、「あなたを捨てない」という御言葉を聞くとき、強くされてきたのである。
ヘブル書の最後を飾る御言葉に、「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」という有名な一節がある。
「捨てない」と言われたのは、このイエス・キリストなのである。
私たちはよく過去の恵みを語る。
けれどもきょう、その過去と同じキリストを信じて生きなければ、過去の恵みは単なる思い出にすぎない。
きのうのイエスはきょうのイエスであることを忘れてはならない。
何年前に、私にはこんなことがありましたと言うだけでは、懐古趣味である。
問題は、いまどうか、あすどうかということである。
きのうのイエスも、きょうのイエスも、そしてあすのイエスも変わることがないと語るのはたいへんむずかしい。
しかし、証しとは、まさにこのことなのである。
きのう生きられたかたは、きょうも生きられるかたであり、あすもまた生きられるかたであるからこそ、私たちはあすのことを思いわずらわないのである。
God Bless You!!
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