2021年3月22日(月)の手紙

2021年3月22日(月)


『いちじくの季節でなかったからである。』マルコによる福音書11章13節


12節から14節までには、イエスがいちじくの木をのろわれ、木が枯れたことが書かれている。
その季節でないのに、実がなっていないからといって怒られたということを説明しようとする人もあるが、私たちにはなんとも理解しがたい。

大変乱暴な言い方に聞こえるかもしれないが、私たちは、イエスのされたこと、言われたことすべてを、無理に理解していかなくてもよいと思う。
人間の理解の基準で神の言葉を推し量っていくのでなく、神の基準に合わせていくところに私たち信仰者の生き方があることをこそ、ここから学ぶべきである。

人間がどんなに論理正しいことを言っても、神の御前では通じないのだ。
なぜなら私たちは神のご意志の中に、生も死も握られている者であり、どんな偉そうなことを言おうとも、その支配をのがれることはできない。

私たちには、それぞれ自分の側の事情があり、いつもそれを神の前に出す。
しかしその事情ですら、神のご支配の中にあることを忘れてはならない。

いちじくの季節でなかったからというのは、いちじくの側のことであって、それは神の前には通らないのである。
そういうところに私たちは、私のために神があるのではなく、神のために私があることをはっきりと知る必要があるのだ。

「心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう」とイエスは言われた。
疑わないで信じることが必要なのである。

ここに、信じるとはひとつの闘いであることが示されている。
どんなに信仰深い人でも、心の中にはいつも疑いが起こってくる。
疑うことは悪いことであるが、疑わないという世界はない。

イエスに呼び出されたとき、ペテロはいっさいを捨てて主の弟子となった。
12人の弟子たちは、自分の生涯をかけてイエスに従った。
イエスに従うことはいっさいを捨てることであるから、神を信じ切ることなしにそれはできない。

しかしその弟子たちになお、イエスは「神を信じなさい」と言われたのだ。
疑うことをやめ、あなたの信仰をはっきりとしなさい、神を信じなさいとイエスは言っておられるのである。

God Bless You!!


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