2021年1月19日(火)の手紙

2021年1月19日(火)


『この人はアブラハムの娘です。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日に、この束縛を解いてやるべきではありませんか。』ルカの福音書13章16節


1922年11月3日、神戸の海洋気象台に無線塔が建てられて発信を開始しました。

無線で直接船舶へ気象通報をするための、世界最初の気象無線電波でした。
それまでは、沖の船舶に気象を知らせるのは、沿岸に建てられた信号柱に、暴風のときだけ真っ赤な玉がつるされるだけでした。

翌年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生しました。
首都圏から出るすべての有線通信が途絶えてしまいました。

神戸海洋気象台は異変に気がつきました。
東京湾上にある船舶から、必死になって緊急モールス信号が打たれていたからです。

「非難者用毛布2000枚すぐ送れ。東京府知事。」
「催災者1500名、あす朝6時神戸着く、迎えたのむ。神奈川県知事。

宛先は兵庫県知事と神戸市長でしたが、これに応答して受け取る局がどこもなかったのです。

海洋気象台の無線係・中野一馬技師は、しばらく傍受していたのですが、意を決して自分が受信局となりました。
彼はただちに兵庫県知事と、神戸市長にこの緊急電報を知らせました。
これによって関東の異変の様子がわかった知事と市長は、急遽、救援物資を満載した船を送り、また、被災者を受け入れる準備を始めました。

この緊急の働きは、人々から称賛を受け、気象関係者の誇りとなりました。

それからしばらくすると、逓信省から中野技師のもとに一通の書状が届きました。
それを見て彼はびっくりしました。
それは、規則違反詰問書と釈明書提出命令だったのです。

「気象通信以外、いっさいの受信も送信も禁止」という規則に違反したからだというのです。

彼はその規則を十分知っていました。
しかし、人命にかかわる緊急時に、 指をくわえていることはできなかったのです。
神戸海洋気象台長である岡崎武松氏も監督不行き届きだとして、譴責処分となりました。


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