2020年9月29日(火)の手紙

2020年9月29日(火)


『私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。』コリント人への手紙第二1章3節~4節


信仰者は「私は聖書と神のことばをよりどころとしている」と言うだけでは十分ではない。
聖霊の慰めを経験することなしに満足してはならないのだ。

使徒パウロの言葉を考えてみると、キリストの死と復活の結果として赦され、救われたという事実だけに満足すべきなのだろうか。
それで安心すべきなのだろうか。

戸籍に妻の名前が載っているので自分が結婚していると知っているだけの男性がいたとしたら、どう思うか。
名前がそこにあるから妻だとわかっているだけなら、その関係は、ほとんど喜びにも慰めにもならない。

そして信仰者にとって聖霊は、私たちの新たな立場と、父なる神に対してもっている実際の関係との証拠および証人となるべきではないのか。

もちろん、そうだ。

聖霊は新しく造られた者を養い、慰め、世話をし、彼に対してキリストの麗しさと栄光を明らかにする。
これらのことは知られるべきであるから、もしもあなたが知らなかったら、知る必要がある。

W・T・P・ウォルストン


進歩のために必要で重要なことは、心の安らぎである。
キリストとひとつになることが教理としてだけでなく、不変の愛情の粋として知られるまでは心に純粋の安らぎはない、と私は信じている。

あなたは、救いにおける主の恵みを確信しているばかりか、主なしには生きていけないほど主を必要としていることに気づいた。
だから、主に結び合わされていることを発見することが絶対的な慰めであり、神聖な安らぎなのだ。

J・B・ストーニー


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