2020年9月25日(金)
『不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し』ローマ人への手紙4章20節
これは以前に何かで読んだホームレスの少年の話である。
ソーシャルワーカーによって地下室から保護された少年は、ニューヨーク州ウェストチェスターの農家に送られた。
彼には広い部屋まるまる一つが与えられた。
夜、部屋に案内されると、テーブルの上には小さなキャンドルが置かれており、少年にとってはまるで夢のような完璧な世界だった。
ここは天国だ、と彼は思った。
やがて疲れて眠くなった少年は、雪のように白いベッドに目をやった。
ベッドで寝るのは生まれて初めてだった。
そこでそろそろとベッドに近づき、しばらくしてから柔らかな枕に頬を載せてみた。
これが自分のものだなんて信じられない、何かの間違いじゃないか。
やがてうしろめたい気分になってきた。
こんな雪みたいな真っ白なベッドに寝るなんて、図々しすぎるよー。
それでもしばらくの間、天国に頭を突っ込むことはした。
それからベッドの下の床に横になり、「ここがおいらの場所だ」と言った。
そして身体を丸めて、すぐに眠りについた。
朝早く部屋に入って来た女主人は、少年を見て叫んだ。
「まあ、なんてこと。この子はどういうつもりなんでしょう」。
そして少年を抱き上げてベッドに寝かせ、このベッドはあなたのものなのよ、と説明した。
それでも少年が納得して、気持ちのいい清潔なカバーにくるまれて眠るまでには、ずいぶん時間がかかったのである。
神の愛する子どもたちの中で、神の愛に満ちた胸で憩う代わりにベッドの下で寝ている者は、はたしてどれほどいるだろう。
私たちは神が自分のために備えてくださっているすべてのものを信じ、受け取る資格のあるものを手に取るのにひどく時間がかかる。
いつの日か、私たちが雪よりも白く、御使いたちよりも高くなり、どんなすばらしい時代も足元に置かれるとき、御父の食卓からわずかなパン屑を受けることさえ自分にはどれほど難しかったかを考えて恥じ入ることだろう。
神は王の子にふさわしい心を求めておられる。
アブラハムのように、神が「わたしはある」と仰せられる神であることを進んで信じる者を求めておられるのだ。
私たちには完全に理解できなくても、それはそのとおりなのだ。
そのことをたとえ知性に完全に組み込むことができなくても、心の中に取り入れて、信仰を強め、神に栄光を帰すのである。
愛する者よ、主があなたをその困難にあわせたのは、ひとえにあなたがそこから助け出され、それが主ご自身に達する足がかりになるためなのだから。
A・B・シンプソン
この真理の単純ですばらしい意味を考えてみよう。
聖書の中に貴重な神のみことばの約束を、すなわち祝福と励ましと導きを差し出す約束を見出すたびに、こう言うことができる。
「これは私にとって本当のことなのか。今日でも本当にそうなるのか」。
そのたびに返ってくる答えはこうだ。
「そうだ、まさしく本当のことだよ。
神の約束はすべてキリストにおいて『はい』となるのだから。
ジョン・ハンター
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