2020年9月2日(水)の手紙

2020年9月2日(水)


『というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬度と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。』ローマ人への手紙1章18節~20節


クリスチャンの神は、単に数学的な真理や構成要素の順序を創造した神ではない。
それは異教徒や享楽主義者の見解である。

単に、ご自分を崇拝する者たちが繁栄を長く享受できるように、彼らの生活や財産をその摂理によって見張る神ではない。
それはユダヤ教的考えだ。

しかし、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、キリスト教徒の神は、愛と慰めの神である。

ご自分のものである者たちのたましいと心を満たす神、彼らの悲惨さとご自身の限りないあわれみとを彼らの心の内に気づかせる神である。

彼らとたましいの奥底で一つとなり、彼らのたましいを謙遜と喜びと信頼と愛で満たし、ご自分以外のどんな目的ももつことができないようにする神なのだ。

イエス・キリストを除外して神を求め、生まれながらの状態に留まる者、あるいは自分たちを満たすどんな形の光も見出さない者、仲介者なしに神を知り、神に仕える手段を見つけることに成功した者はすべて、結局は無神論か理神論に陥る。

この二つは、ほとんど同じくらいキリスト教にとって忌まわしいものである。

イエス・キリストなしには、世界は存在しつづけることができない。
破壊されるか、地獄のようになってしまうだろう。

もしも世界が神の知識を人に教えるために存在するのなら、神の「神性」はすべての場所で否定できない形で輝いているはずだろう。
だが世界はもっぱら、イエス・キリストによってイエス・キリストのために存在し、人々に彼らの堕落と贖い両方の知識をもたらしつづけているので、すべてのものはこの二つの真理の証明ではちきれんばかりなのである。

私たちに見ることのできるものは、神性がまったく存在しないことのしるしではなく、神性が明白に存在することのしるしでもなく、自らを隠す神の存在のしるしである。
すべてのものは、この特質を帯びている。

ブレーズ・パスカル


神がご自身の作品の世話をしているということに納得せずに、宇宙が神によって造られたと本気で信じる者はいない。

ジャン・カルヴァン


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