2020年9月17日(木)の手紙

2020年9月17日(木)


『私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。』エペソ人への手紙1章3節


「キリストにある」とは、キリストのようであるということです。
からだのかしらであるキリストと、そのからだの部分であるクリスチャンは、ひとつのいのちをもっています。

人間の身体の血はそのいのちです。
今、私の頭の中にある血はすぐに私の腕の中の血になります。
それは同じ血です。

ですから、天上のキリストの内にあるいのちは、地上のクリスチャンの内にあるのと同じいのちなのです。

私たちは主イエスにすっかり包みこまれているので、神は今日、私たちを見ずにキリストをご覧になることはできません。
この瞬間、神は御子を見ながら、あなたと私を見ておられます。

そして御子の姿は、神が見ておられるあなたと私のあるべき姿なのです。

「キリストにある」とは、キリストがもっておられるものを共有することです。
キリストが所有するものを私たちは所有しています。
キリストの内にあるすべての霊的祝福、喜び、平安、勝利、力、聖さは、今ここで、私たちのものです。

私たちが神の子どもであるなら、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人です。
ですから、御子は父なる神が与えてくださったものをすべて、私たちと共有してくださっているのです。

ルース・パクソン


もしも自分の心を調べて、神が今日私たちを祝福してくださるはずなのに、まだしてくださっていない祝福を一つでも見つけることができるなら、神がパウロに語ったことはまったく真実ではないことになる。

なぜならパウロは、「神は…すべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」と言ったからである。

すべて成し遂げられているのだ。

実に残念なのは、私たちが「ああ、神よ、私たちを祝福してください。
このことについて祝福してください、あのことについて祝福してください」と言っていることだ。

すべて成し遂げられている。

神は天上にあるすべての霊的祝福をもって、私たちを祝福してくださった。
私たちがなすべきことは、信じて受け取ることである。

L・L・レットガーズ


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