2020年8月23日(日)の手紙

2020年8月23日(日)


『しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。……」と言われました。』コリント人への手紙第二12章9節


また別の晩、私は一日の厳しい仕事の後、馬車で我が家に向かっていた。
疲れきって、ひどく気が滅入っていたが、そのとき、稲光のように突然、聖句が浮かんできたのだ。

「わたしの恵みはあなたに十分である」

私は「まったくそのとおりです、主よ」と言って笑い出した。
そのときまで、アブラハムの聖なる笑いとはどのようなものかを十分に理解していなかった。

しかしそのときは、信じないことがとても愚かなことに思えた。
まるで、喉がからからに渇いた小さな魚が、川の水を飲み干してしまうのではないかと心配し、それに対してテムズ川がこう言っているようなものだった。

「好きなだけ飲むがいい、小さな魚よ、私の流れはあなたに十分なのだから」

あるいは、エジプトの穀物倉の小さなネズミが七年の豊作のあと、餓え死にするのではないかと怯えているようなものに思えた。
ヨセフならこう言っただろう。

「元気を出せよ、ちびネズミくん、わたしの穀物倉はあなたに十分なのだから」

そしてまた、そびえたつ山の高みに立つ人がこんな独り言を言っているのを想像する。
「毎年、何十リットルも空気を吸っている。
大気中の酸素を吸いつくしてしまうんじゃないかと心配だ」

けれど、地はこう言うだろう。
「人よ、いくらでも吸えばいい。そしてずっとあなたの肺を満たせ。
わたしの大気はあなたに十分なのだから」

ああ、兄弟たちよ、大いなる信仰者となれ!
小さな信仰はあなたのたましいを天の御国へと導くが、大いなる信仰は天の御国をあなたのたましいにもたらす。

チャールズ・スポルジョン


主の食料貯蔵庫には、主の子どもたち全員の飢えを満たすほどの食べ物があり、主の地下貯蔵庫には彼ら全員の渇きを癒すほどのワインがある。

だから飢えつづけるがいい。
そこでは、キリストに飢えるのはよいことだからだ。

主から決して離れずに、飢えたたましいに絶えず願うものを与えておられる主があなたを満たしてくださるまで、主を叫び求めるのである。

サミュエル・ラザフォード


a:85 t:1 y:0