2020年5月28日(木)の手紙

2020年5月28日(木)


『食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。」』ルカの福音書22章20節


神を個人的に知ることが、私たちの霊的生活の奥義である。
それは失敗を防ぎ、私たちを罪から守ってくれる。
絶え間のない神の贈り物、キリストの贖いの実である。

私たちは今や、神とその御子を見て知っている。
私たちがイエスを知っているのは、イエスが常にご自分の羊を知っておられ、ご自身を彼らに現して導きといのちを与えておられるからだ。

この知識とは、神とともに歩むこと、「光の中を歩んでいる」こと、「絶えず祈る」ことにほかならない。
主の奥義は、「ご自分を恐れる者と親しく交わる」ことだ。

深い闇の中を、多くの困難の只中で常に戦いながら、それでも私たちは神の「御顔の光」に照らされて歩いていく。
そしてついには、神がどのようなお方であるかを知り、神が私たちを知ってくださっていることをも知るのである。

新たな、永遠に続く契約、恵みといのちの契約、神がご自身を啓示してくださり、あらゆるものが神のものである契約の内にある者は、なんと幸いなことだろうか。ここでは、キリストは私たちにとって知恵であり義であり、聖化であり贖いである。

私たちの罪は赦された。
然り!
もはや罪の記憶もない。

心は一新され、聖霊が内住する御霊として与えられている。
神は私たちの内に働かれ、ご自身の喜ばしき目的を行い、かなえてくださる。
私たちは、神の子どもとして常に神とつながっているのだ。

神は私たちの神であり、私たちはその民である。
神は私たちの父であり、私たちはその子どもである。

そして、これらすべての恵みの根源と始まり、活力と永続性は、ゴルゴタで成就した贖いの内にある。
その恵みは過越の子羊として十字架にかかった仲介者によって、天の聖所から与えられたものだ。

幼子と父親たち、若き回心者と老練なクリスチャンは、常にイエスの声を聞いている。
「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契です」

アドルフ・サフィア


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