2020年2月26日(水)の手紙

2020年2月26日(水)


『けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。』ヨハネの黙示録2章4節~5節


ある敬虔なアフリカのクリスチャンが、教会の会衆に向かってこんな話をした。

この集会に向かうために丘を登ってきたとき、背後に足音がしました。
振り返ると、重い荷物を背負った人が丘を登ってくるのが見えました。
私はたいそう気の毒に思って、その人に話しかけました。
そのとき私は、彼の両手に傷跡があるのに気づいて、その人がイエスであることを知りました。

私は彼に言いました。
「主よ、あなたはこの世の罪を、丘の上まで背負っていかれるのですか」

「そうではない」と、主イエスは答えられました。
「世の罪ではなく、あなたの罪だ!」

そのアフリカ人が、神が見せてくれた光景をありのままに語ると、会衆の心と彼の心は砕かれた。
十字架に自分たちの罪を見たからだ。

私たちの心も、砕かれる必要がある。
心が砕かれるとき初めて私たちは、真の罪の悔い改めに伴う告白と謝罪、和解と「償い」に進んで行おうとするのである。

こうして、主がへりくだって自らを低くされたように、私たちもおのれを低くするなら、御霊の鳩は私たちのところに戻ってくるだろう。

ロイ・ヘッション


ああ、もっと空っぽに、もっと低く、
もっと卑しく、人目を引かず、
無名になれたなら。

神に対しては、もっと聖き器となり、
キリストに、
キリストだけに満たされて。

この世の何ものも主の栄光を曇らせることなく、
おのれの何ものも主の光を曇らせることなく、
驚くべき物語を語り伝える、
空っぽの器となって、
主に満たされるために…。

P・G


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