2020年12月6日(日)
『あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。』イザヤ書30章21節
「神のみこころは何か」という質間に対してですが、あまり力みすぎると神のみこころを行えなくなってしまう可能性が大きくなります。
完全に神に人生を明け渡しているならば、私たちがその時々の自分の務めを果たすことに没頭しているとき、神がみこころに従って私たちの内に働いてくださると期待していいのです。
私たちは神の促しと同様に、神の制止をもよりどころとしましょう。
「イエスの御霊がそれを許されなかった」。
その「ことば」は「あなたが右に行く……左に行く……」ときに約束されています。
私たちが神のみこころの道をまっすぐに進みつづけるなら、父なる神は微笑みをくださり、心は安らぐことでしょう。
記された聖書のみことばは、聖霊の照明を必要としています。
もしも私たちが自分の思いでいっぱいなままでみことばに向かうなら、自分自身の考えをみことばの中に読みこむことになってしまいます。
私たちは、神がご自身の書を解き明かされるのをへりくだってお待ちしましょう。
何事も急いで行ってはならない。
神のみこころによるものは、すべてのことには定まった時期がある。
ある日に待ったことが、後になって、私たちが深刻な失敗にどれほど近かったかを教えてくれるかもしれません。
神との歩みはとてもゆっくりなものに見えるかもしれません。
でも、その結果はとても確かなものです。
そこには無駄な力などまったくないのですから。
すっかり神のものとなったたましいに対して、聖霊は、神のみこころと一致するならどんな事柄においても深い安心感を与えてくださいます。
心と思いに聖霊による完全な安らぎが得られるとき以外は、どんな決定もしないほうが安全です。
ジェシー・ペン=ルイス
神のみこころは「なんと甘いことでしょう」。
神には一つの失敗もありません。
フランシス・ハバーガル
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