2020年12月23日(水)の手紙

2020年12月23日(水)


『シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はしない。その義が明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。そのとき、国々はあなたの義を、すべての王があなたの栄光を見る。そのとき、あなたは新しい名で呼ばれる。主の御口が名づける名で。あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。あなたはもう、「見捨てられた」と言われず、あなたの土地は「荒れ果てている」とは言われない。かえって、あなたは「わたしの喜びは彼女にある」と呼ばれ、あなたの国は「夫のある国」と呼ばれる。それは、主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。若い男が若い女の夫となるように、あなたの息子たちはあなたの夫となる。花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。』イザヤ書62章1節〜5節


クリスチャンの中で、キリストによる罪の赦しを受けながらも、鈍い良心と、神の甘美な平安に満たされぬ心とを抱いて嘆き、疑いつづけている者はいるだろうか。

あなたは自分自身を赦すことができない、自分の過去を忘れることができない、自分が絶えず罪や失敗を繰り返すことを見過ごせない、自分の内に住みついた堕落を嘆くことがやめられないのだろうか。

不思議な二重性によって、あなたのたましいの中には放蕩息子の兄がいる。
なぜ弟が「一番良い衣を……着せ」られているのか、なぜ今、「喜び祝う音楽や踊りの音」だけが聞こえているのか理解できないのだ。

あなたは、自分がたびたび失敗したり堕落したりすることが主の愛を妨げはしないことを知らないのだろうか。
たとえあなたが主の平安の内にあることを常に意識していなくても、主の平安が絶えずあなたの内にあることを知らないのだろうか。

あなたの代理人であり頭である主によって、父なる神は喜ばれる。
神はあなたをもう「見捨てられた」、「荒れ果てている」とは呼ばず、「わたしの喜びは彼女にある」、「夫のある国」と呼んでおられるのだから。

あなたがキリスト・イエスによる、この決して変わることのない神の愛を、つまり、時の始まる前からあるその愛、御子を引き渡したその愛、あなたを永遠に守るその愛を見るとき、友人や兄弟や母親や夫の愛にほのかに示されているものをすべて合わせもったイエスの愛を、また十字架の上であなたの罪を負い、今や天の大祭司の心の中にあなたを抱き、あなたが主を否定したあとも誠実にあわれみをもって優しく見守っておられるその愛を見るとき、たとえ罪がさらにいまわしく過酷なものに思えたとしても、キリストによって憩い、喜び、イエスの血によって大胆に入ることのできる聖所の内に住もうではないか。

主は「とこしえに変わることがありません」

アドルフ・サフィア


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