2020年12月18日(金)の手紙

2020年12月18日(金)


『見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』ヨハネの黙示録3章20節


私という存在のどこにも、聖なる客人に対して戸を閉ざしている部分はない。
私の霊という家のどこにも、主の入ることのできない部屋はない。

マスターキーを手にした主に、あなたのひ弱な性質が住んでいる薄暗い部屋のすべてに入っていただこう。
そして我々の内にあるそのただ一つの真のいのちが、目に輝きを、頼に赤みを、手に巧みさを、腕に力を、心臓に高なりをもたらすように、主はあなたへのただ一つの真の贈り物のさまざまな結果を携えて来られるだろう。

主は、口に含む霊妙な薬のように、生気のない衰弱した身体に入り込んで、頬に赤みを、目に輝きを取り戻させ、頭の働きを鋭敏にし、全身全霊に力を取り戻させてくださる。

暑い日差しを浴びてぐったりとしおれていた植物が、微かな水の気配を感じたとき、すべての部分がしゃんとして直立するように、聖霊が人に注がれるとき、その全身全霊は活気づけられ、助けられるのである。

アレクサンダー・マクラレン


私たちはキリストの愛を喜ぶことを日々、熱心に深めていかなければならない。
そうすることで私たちは、自分の表情やしぐさによってキリストの愛をさらに表すように形づくられ、その愛が作り出す聖なる環境に囲まれるようになるのだ。

エドワード・デネット


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