2020年1月12日(日)
『ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』ヤコブの手紙4章7節
キリストで心を満たすという神の恵みだけが、私たちに自我とその偶像とを手放させてくれる。
キリストと、その恵みと真理とに満たされれば満たされるほど、主の目が咎めるものをすべてたやすく、完全に手放すことができるようになる。
なぜなら、私たちはあらゆる恵みの神に導かれているときにのみ、真に屈服し、真に取るに足らぬものとなり、真に主の叱責のすべてを認め、主の恵みによらないすべてのものの空虚さを認めることができないからだ。
キリストが入ってこられると、主とともに生きていられないものはすべて出ていく。
それはゆっくりであるかもしれないが …所有物を渡すのが嫌なので… キリストを知ることと、キリストの力とを通して恵みが流れこむと、心を満たしつつ心を清めてくれるはずだ。
まさにこれは一つの過程であって、一度ですべてが、なされるわけではない。
そこには葛藤がある。
残念ながらしばしば敵が優位に立つことがある。
しかし、キリストが心の中に入って住まわれ、信仰によって心に内住されるに従って、敵の多くのそそのかしは外に追いやられ、中には入ってこなくなる。
そうだ、恵みがそんなにも十分であるなら、敵は、心の門から追い払われるだろう。
悪魔は私たちから逃げ去る。
心の内に、自分の居場所がないだけではなく、キリストの力によって、キリストの栄光を現すために拒否されたからだ。
そして平安と喜びが私たちの内だけでなく、回りをも囲む。
自分の弱さによってへりくだり、自分を神にゆだねよう。
しかし不信仰を引き起こし、神に逆らうことのないようにしようではないか。
『主の小さき者たちのためのパン屑』
イスラエルの民をエジプトから『出させる』ことのほうが、彼らをカナンの地に入れることよりたやすかったことを、私は知った。
一歩ずつ先に進むたびに、前の歩みよりも多くの反対を引き起こすからだ。
だがそのとき、私たちが進むにつれて、神はもっともっと私たちにとって重要な意味をもつようになる。
これは神に献身する心にとって、何にもまさる意味をもっている。
J・B・ストーニー
敵を中に入れないようにするほうが、入りこまれてから追い出すよりもたやすい。
著者不明
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