2019年4月5日(金)の手紙

2019年4月5日(金)


『そこに鳥は巣をかけ、こうのとりはもみの木を宿とします。』詩篇104篇17節


どんな人も、多かれ少なかれ自分の人生について満足を感じていないのでは、と私は推測しています。

ほとんどの人はいつも多忙で、落ち着くことができません。
彼らはどんな木にも満足できず、決してとどまることができません。
木から木へと、休むことなく渡り歩くのです。

ある木は青々とした葉が茂っておらず、ほかの木は見栄えがよくありません。
また別の木は何か魅力に欠けています。
こうして彼らはいつも動き回り、どんな木にも安住できる巣を作ろうとはしないのです。

ルターはキリスト者の心の安らぎを、木を活動の拠点としている小さな鳥と比較しています。
その鳥は自分でその夜の餌を手に入れました。
しかし、次の日の朝の餌をどこで見つけることができるかはわかりません。

風が木を揺り動かしている間も、鳥はそこにとどまり、目を閉じ、羽の中に頭を入れ、眠ります。
しかし、朝目が覚めると、鳥はこうさえずります。

死ぬべき運命にあるものは、
いずれ労苦と悲しみから解放される。
しかし、神は明日のために
必要なものを備えてくださる。

「必要とするものは何もない、この地上で欲しいものはほとんどない。
私は十分満足している」と言える人などどこにもいません。
人生の実習生であるあなたは、一人前の職人となるために修練に修練を積み重ねながら時を過ごします。

一人前になると、あなたは熟練者、親方になるためにさらに腕を磨こうと労苦を重ねます。
そして、熟練者、親方になると引退することを切に願うようになります。
私たちは港に決して到着することのない船に乗っている船乗り、あるいは、的に決して届くことのない矢のような者なのです。

友人のみなさん、もしあなたが主キリストを受け入れていなければ、あなたの将来はどうなりますか。
たとえ将来がつらく暗いものに見えるとしても、主キリストがあなたの将来を聖とし、聖霊があなたに勇気とエネルギー、そして力を与えてくださるのであれば、そのようなことは重要なことではなくなります。

God Bless You!!


a:111 t:1 y:0