2019年4月10日(水)の手紙

2019年4月10日(水)


『主の聖徒たちの死は、主の目に尊い。』詩篇116篇15節


神はこのとき、詩篇記者が死ぬことをお許しになりませんでした。
神は彼の魂を死から救い出してくださったのです。

この詩篇の目的は、かなり深刻な病に罹り、そこから健康を回復した者が、神から受けた豊かなあわれみをユダヤ人である自分の家族にしっかりと思い起こさせることにありました。

主なる神は聖徒たちの命を高く評価し、他の人たちが命を失おうとしているときにも、彼らの命を惜しみ、救っておられます。
彼らが天寿を全うすることなく死を迎えることはありません。
その仕事がなし終えられる前に死を迎えることはないのです。

聖徒らが死を迎えるとき、その死はこの上なく貴重なものとされ、聖とされます。
主なる神は、彼らの死の床を見守り、その枕を心地良いものにし、その心を支え、最後には魂を受け入れてくださるのです。

尊い血潮によって贖われた者は神の豊かないつくしみをいただき、その死さえも神にとって尊いものとなります。
そして、聖徒たちの死の床は教会にとっても尊いものです。
教会はそこから多くのことを学び取ることができます。

亡くなった人の最期のことばを心に銘記した人たちにとっては、彼らは非常に貴重な存在であり、さらには、主なる神にとっては最も尊い存在なのです。
主にとって尊い者たちの勝利の死を、主は聖なる喜びをもって見ておられるからです。

私たちがこの世において主の御前を歩んでいるのであれば、死を前にしても、死ぬことを恐れる必要はありません。

God Bless You!!


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