2019年3月9日(土)の手紙

2019年3月9日(土)


『待ち望め 主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め 主を。』詩篇27篇14節


私には言い残しておきたいことがあります。
もし、もう二度と説教する機会が残されていないとすれば、あるいは、今回がこの世で説教する最後のものになるかもしれないと言われたとすれば、次のことを私の最後の証しにしたいと願っています。

それは、私には夢にも思わなかった信仰の喜びが与えられていること、主なる神こそが私がお仕えした最高最善の方であり、そして、この方から信仰を与えられているということです。

「神からの恵みとして与えられている霊的遺産を、たとえ世の人が最高、最善と言われているものと交換してあげようと申し出てきても、私にはそのつもりは全くありません。」
これが私の信仰であり、この信仰によって祝福に満ちた希望を与えられているのです。

たとえ悲惨な死を迎えなければならず、また、希望が何も残されていないように見えても、私は一人の王、あるいは一人の皇帝であることよりも、むしろ一人のキリスト者であること、また一人の卑しい牧師であることを選びます。

この淫らな世界をほめたたえることによって与えられるどんなものよりも、はるかに優れた主キリストにある大いなる喜びが私には与えられています。
また最も陽の光の強い、最も明るい日々の中で生み出される大きな喜びにもはるかに勝る、主キリストにある絶大な喜びと、御顔をわずかでも仰ぎ見ることのできる素晴らしい喜びが隠され、存在していることを、私は堅く信じています。

そして、主イエスは昨日も今日も、そして最後まで永遠に変わることなく存在しておられる方であると確信を与えられているのです。
主は良き業を始められたそのところで、さらにその業を続行し、そして、最後には完成してくださるのです。

罪の重荷に苦しむみなさん、主キリストの十字架は死ぬべき者にとってはこの上なく尊い希望のしるしです。
この主の十字架によって、私たちは何の恐れも感ずることなく墓へと導かれるのです。

増水しつつあるヨルダン川の水に呑み込まれそうになっても、主の十字架は私たちを喜びで満たしてくれます。
たとえ、真っ暗闇の嵐の中へと追いやる肉体的な痛みや精神的な苦悩によって打ちひしがれることがあ
るとしても、主の十字架は私たちを喜びで満たしてくれます。

主キリストの中には、死に対する恐怖の思いを克服する力と、暗黒の嵐によって墓が暗くされることをかえって喜ぶことのできる力が隠されているのです。

主を心から信頼してください。
私たちの証しとすべての主の民の証しが、主は信頼されるに値する方であることを力強く語っているからです。

「待ち望め 主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め 主を」。

God Bless You!!


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