2019年12月23日(月)の手紙

2019年12月23日(月)


『わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。』ヨハネの黙示録3章 19節


神は本当に必要な場合には、完全な愛をもって懲らしめをお与えになる方です。
「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない」のです。

私の親は自分の判断にしたがって私の間違いをたびたび正し、叱ってくれました。
しかし、それでも私は親を敬いました。

天の父なる神は必要なとき、必要に応じて間違いを正してくださる方です。
ですから、神を敬い、歩もうではありませんか。

命と健康は、しばしば塩辛い涙を流すことによって、あるいは肉体に痛みを受けることによって、また心に苦痛を経験することを通して与えられることに私は気づきました。

病がかえって健康を与え、失敗が利益をもたらしてくれたことを思い起こし、証ししたいと願っています。
いずれ、死がより豊かな命を与えてくれることを、私は疑いません。

愛するみなさん、そのようなとき、主にあって賢く振る舞ってください。
現在の苦難を主からの懲らしめとしてとらえてください。

「父が訓練しない子がいるでしょうか」、あるいは「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする」と言われているではありませんか。

神の家にあっては鞭以上に有益な懲らしめの道具はありません。
私たちの輝かしい喜びは、最も苦い悲しみによって生み出されるからです。

懲らしめを受けることによって、かえって私たちの心は主の恵みに満たされるのです。
懲らしめを受けることがなければ、どのようにしてそれを手に入れることができるでしょうか。
主キリストのように、私たちも苦しむことによって従順を学ぶのです。

神は罪のない唯一の御子を持っておられました。
しかし、神は悲しみのない子を持つことはなかったのです。
世が続くかぎり、今後もそのようなことは決してありません。

神は私たちにとって最も良いと思われるものを与えてくださいます。
ですから、神のなさることは何事であれ、ほめたたえようではありませんか。

そして、神の子として「主よ、あなたは私を懲らしめてくださいました。感謝します」と心から告白しようではありませんか。

God Bless You!!


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