2018年7月24日(火)の手紙

2018年7月24日(火)


『(彼らは)助けを得てこれらに当たった。…それは、彼らがその戦いのときに、神に呼ばわったからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた。』歴代誌上5章20節


私たちの生涯は結局のところ、ひとつの短いセンテンスにまとめられることになります。
それをするのはほかでもない、私たちの人生を評価なさる神です。

私たちの場合、それはどんなセンテンスになるでしょうか。
これは穏やかではない質問です。

おそらく、こんなことでしょう。
「彼はひともうけした」。
「彼は求道的たましいであった。常に求めつつ、ついに真理を見いださなかった」
「彼女は人生を楽しむ術を心得ていた」。
「彼の一生は仕事一筋であった」。

あなたの一生はどうまとめられるでしょうか。

きょうのみことばは、名前と部族名の果てしない名簿のただ中に現れます。
神のことばが名前以外には何ひとつ書き添えなかった人々の名簿。
なんと空虚で取るに足りない生涯を送った人々の名簿でしょう。

彼らの葬式の追悼文は、あるいは堂々たるものであったかもしれません。
が、神のさばきの前には、彼らは全く拠り所のない者として立つことになるのです。

しかしその中で、ある人々については短い記事が添えられます。
彼らは軽快な人生を送ったわけではなく、苦悩の中を生きたことでしょう。
が、正しい祈りを心を得ていて、彼らは「神に呼ばわった」のです。
ご自分の子どもたちの叫びを聞くとき、神はどんなに喜ばれることでしょう。

そこで彼らについて、「彼らが神に拠り頼んだので」と記録されるのです。
彼らは、ご自分を啓示する神を知っていました。
私たちはこの方を、彼ら以上によく知ることができます。

神がイエスにおいてご自分の愛を示されたからです。
その私たちが、この主を完全に信頼しないということがあるでしょう
か。

さて、この人々は神の力の記念碑です。
彼らは「助けを得た」人々でした。

主よ。
私たちの生涯を、あなたを知ることによって富ませてください。アーメン

God Bless You!!


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