2018年4月16日(月)の手紙

2018年4月16日(月)


『わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。』ルカによる福音書24章39節


最初のイースターの夜、弟子たちの部屋は大騒ぎでした。
たった今、ふたりの弟子がエマオから戻り、「主を見た」と伝えたからです。
人が死からよみがえるなんて、そんな知らせを正気で受け取れるでしょうか。

突然イエスご自身がそこに立たれました。
恐怖が弟子たちを捕らえます。
こんなことはあり得ない、幽霊を見ているのだろう。

恐れ、不信仰、迷いのただ中に、イエスのみことばはやさしく響きます。
「わたしです」。
そう言って主は十字架の釘あとをお示しになりました。
この「わたしです」が、すべての曖昧と疑いとを打ち破りました。

イエスは幾たびか、この力ある「わたしです」を口になさいました。
井戸のほとりで、半異教徒の女性を相手に、面倒な理屈、暗澹たる男性関係、また、正しい祈りについて、語り合われました。

やがて彼女は「メシヤが来られたならば、問題はみな解決するでしょう」と言って簡単に話を終らせようとしました。

さてそのあとにイエスが「あなたと話しているこのわたしがそれです。
みんなが待つのは、このわたしです」と言われたときに、彼女はどれほど驚いたことでしょう。

ゲッセマネの園に捕り手の一団を迎え、主は言われました。
「だれを捜すのか」。
気勢をそがれた彼らは「ナザレ人イエスを」と答えるのがやっとでした。
その時、例の権威に満ちた「わたしです」の不意打ちを食らい、彼らは思わずあとずさりし、地に倒れます。

「わたしは、それです」。
大祭司が「あなたはほむべき方の子か」と尋ねると、縛られて裁きの前に立つ主は、そうお答えになりました。

主の「わたしです」は、とても力のあることばです。
やがて主が栄光のうちに再び来られて、「わたしです」を全世界に向かって叫び、その一撃をもってすべてをあらわにされるならば、その時はなおのこと、恐怖と喜びとが渦巻くことでしょう。

主よ。
あなたを礼拝します。アーメン

God Bless You!!


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