2018年3月30日(金)
『キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たち…』ローマ人への手紙5章2節
飛行機でアメリカに着いて、空港のゲートを通り、第1歩を踏み出す。
その気持ちはたとえようもないものでしょう。
しかも、単なる旅行ではなく、骨を埋めるつもりで来た移住者であれば、「新しさ」の感を格別に深くすることでしょう。
これは、使徒パウロの心を少し表してはいないでしょうか。
パウロはひとつの検問通過を語ります。
彼はゲートを通って新しいすばらしい国へ入ったのです。
そこは神の恵みの御国です。
御国…。
ある詩人が言うとおり「そこは、平和と喜びとがほほえむ」のです。
この門を通って恵みの国に入る前は、人は恐るべき世に生きています。
そこに恵みは存在しません。
神はことごとに「ノー」と 言われます。
平安のない心は、言い尽くせぬ恐れから逃げ出すことさえできません。
それに耐えかねて、人々は絶えず気晴らしを求めなければなりません。
そして、やがて死を前にして、ついに自分が何も持たずじまいであったと悟るのです。
門。
そうです。
門を見つけなければなりません。
そこから恵みの国に入るのです。
人々がともに住むことを許される国。
そこでは神はもはや敵ではなく味方です。
そこでは人は神の愛を確信し、神の子どもとされます。
門はどこにありますか。
ここで語るパウロのことばは、逆説的です。
恵みの国への門。
それは十字架につけられたイエス・キリスト。
それ以外に門はありません。
イエスは言われます。
「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」。
主よ。
あなたにあってただひとつの門が私たちのために開かれたことを感謝いたします。アーメン
God Bless You!!
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