2018年2月14日(水)の手紙

2018年2月14日(水)


『さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。』マルコによる福音書10章32節


キリストの十字架は、いわば磁石のようです。

主イエスはエルサレムに引き寄せられて進んでおられました。
恐ろしい憎しみが待ち構えているのは、弟子たちにもわかっていましたが、それでもなお思い違いのないように、イエスご自身が弟子たちに語られます。
「彼らはわたしを十字架につける」と。

このような状況で、弟子たちは逃げ出すこともできました。
もとの漁師に戻ることもできました。
十字架に向かって進む必要はなかったでしょう。
しかも、彼らはそうしたくもなかったのです。

彼らの心は恐怖の奴隷でした。
「弟子たちは驚き… 恐れを覚え」ました。
それなのにまた、「ついて行く」のです。
そうする必要はなく、そうするつもりもなかったのに、ついて行くのです。

イエスの十字架には、そんな磁力があります。
人の心を引き寄せずにはおかないのです。

確かに弟子たちはイエスの逮捕に臨んでバラバラと逃げ出し、隠れてしまいました。
こうして最後の最後で、恐怖に押し倒されたかに見えました。

けれども…
十字架の力はなおまさっていたのです。
磁石は彼らを離しませんでした。
ペテロは手紙に書いています。
キリストは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」と。

ヨハネの手紙も、イエスの十字架をこよなくたたえて、こう言います。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」。

そうです。
十字架は強い磁石です。
弟子たちは進んで行くのを拒みましたが、結局は、彼らにとって主は強いお方だったのです。
私たちにとっても、これよりよいことは起こりません。

主よ。
あなたの十字架の引力に抵抗した私達を赦しください。

God Bless You!!


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