2018年12月25日(火)の手紙

2018年12月25日(火)


『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。』ルカによる福音書2章11節


「きょう、救い主がお生まれになりました」。
このような嬉しい知らせの伝令役となった御使いは、どんなに喜んだことでしょうか。

喜びを告げ知らせるにまさる幸せはありません。
また、御使いがそれをどれほど手短かに語ったとしても、驚くには当たりません。
御使いには、退屈な込み入った説教をする気はありません。
彼の知らせは子どもにもわかるのです。

が、同時にまた、学者が一生を費やしても、その深みを窮めることはできません。

「きょう、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」。

あなたがた、「神の正しいさばきに服すべきあなたがた。
死に定められるべきあなたがた。
数々の罪に埋もれるべきあなたがた。
善をしようと願いつつ、悪を行ってしまうあなたがた。
そのあなたがたのために、救い主がお生まれになりました」。

「救い主」。
ギリシャ語に即して訳すなら、「救助者」です。
力ある神の御腕が、失われた世界のただ中に伸ばされて、私たちを滅びから引き上げ、いのち、喜び、平和の岸辺、神の岸辺へと携え行くのです。

さらにまた、「きょう」それは起こりました。
先祖たちは、この日を待ち焦がれました。
が、「君たちは、救いの良き日にめぐり合う。きょう、彼は来られた、救い主」。

この知らせの偉大さを、だれが測り得るでしょうか。
マティアス・クラウディウスは言いました。
「これは奥義であり、私たちはそれを窮めることはできない。
が、神から来たものであることは確かである。
なぜなら、この知らせは天の刻印を帯びており、神の隣みに満ちているから」。

人として生まれた方、主イエスよ。
あなたをたたえます。アーメン

God Bless You!!


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