2018年11月26日(月)の手紙

2018年11月26日(月)


『主よ。私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の悩みを見てください。主は死の門から私を引き上げてくださる。』詩篇9篇13節


アウグステイヌス会の修道僧アブラハム・ア・サンタ・クララ(1709死去)は、有名な大衆説教の中で、「死に臨んで泣く」娘の嘆きを語りました。

「おお、死よ。野蛮な乱暴者。
優しいことばが届かぬか。
お前が万に一つでも妥協の余地を残すなら、私だけには特別に見逃す情をかけておくれ。
若者たちには老人よりも、少しは手心を加えておくれ」。

この詩は死について多くのことを歌います。
死は時に若者を奪い去り、年寄りを見落とすこと。
死は暴君であること。
死に臨むとだれもが、少なくとも「私だけ」は助かるようにと願うこと。

が、人には、死との取り引きも「妥協」も不可能であること、などです。

ただし一つ間違いがあります。
死はそれほど強力ではないのです。

詩篇90篇でモーセは神に対して、「人を死なせるのはあなたです」と語っています。
人をちりに帰らせるのは神であり、死から救い出し、「死の門から引き上げる」のも、神のみです。

そうです。
神にはそうすることができ、また、そうしようとされます。
だからこそ神はそのひとり子、主イエス、「いのちの君」を送ってくださったのです。

「わたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」とイエスは言われました。
なんという大いなるみことばでしょうか。

私たちの死の原因である咎を、イエスが担い取られたので、彼を信じる人はすでにいのちに入れられているのです。

イエスご自身、復活によって死に打ち勝った方ですから、彼に信じてすがる人は、すでにいのちのうちにあるのです。
主のものとされた人は、死の世のただ中で、「主は死の門から私を引き上げてくださる」と言うことができるのです。

いのちの君よ。
私たちは死より逃れてみもとにまいります。アーメン

God Bless You!!


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