2018年1月18日(木)の手紙

2018年1月18日(木)


『イエスは… 年も増し加わり…。』ルカによる福音書2章52節


なんという当然のことが聖書に書かれていることでしょうか。
だれでも年は取るものです。

そうです。それは私たちには必然です。
しかし、イエスにとってはそうではありません。
私たちは、いわば時間の怒涛に流される小舟に乗り合わせた者たちです。
しかし、神は岸壁そのものであり、揺るぐことがありません。

では、イエスはどうでしょうか。
聖書は彼について、「この方は、初めに神とともにおられた」と言います。
神とともに…。
時間もなく老いることもなく。

あるときイエスが自分はアブラハムを知っているのだと言われるのを聞いて、人々は怒りました。
「何を愚かなことを言うのか。
あなたはまだ三十歳にもならない。
アブラハムは二千年も前の人だ」。

イエスは答えます。
「アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです」。

イエスは神の
岸壁に属する方です。
時の流れの中にはおられないのです。

さて、その上で「イエスは年も増し加わり」と書いてあります。
つまり「沈みゆく者を救うために、時の流れに身を投じた」ということです。

そうです。
私たちは押し流されて沈むのです。
咎の鉛の重りが、私たちを水底へと引き込みます。

ある青年が苦い思いをかみしめつつ、こう書き記しました。
「人は我々を半分強い者と呼んだ。
あとの半分は、だれもそれを知らない。
だれひとり、歓呼の陰のすすり泣きを聞く者はなく、力の陰の寄るべなさを知る者もない」。

実にこれは万人にあてはまる事実ではありませんか。
こうして私たちは時間の中を流されるのです。
失われたままで。

さて、救助者イエスが時の流れに突入されました。
救助作業中に、主はいのちを落としたかに見えました。
しかし、まさにそれによって主は、私たちを救いの岸壁である神のみもとに運ぶことができ、また、運ぼうとされるのです。

主イエスよ。
時間の中へ来て、私たちを時間から永遠へと移してくださり、感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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