2017年11月17日の手紙

2017年11月17日(金)

『イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。」マタイによる福音書22章37節


大自然の中でくつろいでいるライオンは、無害に見える。

ごろりと寝転がり、立派なたてがみをくしでとかすかのように、枝に顔をこすりつけている。
小川の水をゆったりと飲んだり、雑木の茂る乾燥した大地を、時間などおかまいなしという様子でのしのしと歩いたりしている。
牙を見せるのは、あくびをするときだけだろうか。

だけど、穏やかな見かけにだまされてはいけない。
ライオンがリラックスしているのは、恐れるものがないからだ。
食べ物に困らず、これといった天敵もいない。
ライオンは、のんびり屋で周りに無関心のようだけれど、百獣の王だ。
ひとほえするなら、すべての動物が一目散に逃げ出してしまう。

神ものんびりしておられると思うことがあるだろうか。
神の御業が目に見えないと、何もしておられないようだと結論づけるのだろうか。

私たちは、神をあざける人や神の存在を否定する人たちの言いたい放題を聞いて、なぜ神は自己弁護をなさらないのだろうと心配したり、首をかしげたりする。
だけど神は「彼らの声に脅かされず、彼らの騒ぎにも動じ」ない。

神が恐れるものは、存在しないからだ。
このお方がひとたびほえたなら、悪口を言っていた人たちは、クモの子を散らすように消え失せてしまう。

神の悪口を聞いて、私たちは心配しているのに、なぜ神は平気なのかと疑問に思っているのか。
それは、神がすでに万物を支配しておられるからだ。
「ユダ族から出た獅子」であるイエスが勝利することは、分かり切ったことだから。
神が万物を支配しておられるというなら、私たちは何も恐れるものがない。

God Bless You!!

a:194 t:1 y:0