2013年9月9日(月)

2013年9月9日(月)


『ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない』テモテへの第一の手紙5章24節~25節


聖書は、私達の行いはいつまでも隠れたままではいないと、指摘している。
これは、神聖な神様の御言葉だ。

だけど、この言葉は自分を計るバロメーターにもなる。

ある人は、この言葉を聞くと「恐ろしい」と思う人がいる。
その人は、きっと誰にも言えない罪を隠しているのかも知れない。

だけど、ある人には大きな慰めにもなる。
教会で特に目立った事もなく、これといった立場もなかった人達だ。
だけど、のちの日に、その暖かい言葉や、さりげない人助けが多くの人々の心に触れていたのを知ったという事も少なくない。
彼らの良い働きは、隠されたままではいないのだ。

何よりも、神様に隠し事はできない事を忘れてはいけない。
これは大きな慰めでもある。
神様は、笑顔や温かい励ましの言葉や、またイエス様の御名によって行われるひとつひとつの事を知っておられる。
そして、いつの日か神様はそのすべてに報いてくださるのだ。

God Bless You!!

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