2013年9月7日(土)

2013年9月7日(土)


『わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな』ヨハネによる福音書14章27節


殉教者ニコラス・リドリーは、それが慰めになるなら最後の夜を牢獄で過ごそうと言った兄の申し出に対して、いつも通り熟睡するだろうからと言って、断った。
リドリーは、イエス様の平安を知っていたので、イエス様のもとで安らぐ事ができたのだ。

翌朝、リドリーは同じく処刑の運命にある仲間のクリスチャン達に言った。
「同志よ、勇気を出していこう。
神が烈火の火を鎮められるか、炎に耐えられるように私達を強めてくださるかのどちらかだから」と。

そして、彼らは火刑柱の横でひざまづいて祈り、短く言葉を交わしたあと、火あぶりにされて殉教した。

イエス様は、彼らにご自分の平安を与えられた。
イエス様ご自身も、十字架にかかり、苦しんで死ぬ事を知っておられた。
だけど、エルサレムに向かっておられるイエス様は、その決意の中に平安を抱いておられた。

ペテロは、十字架にかかると言ったイエス様をいさめたけれど、イエス様は父なる神様を信じて、十字架につかれた。
イエス様の人生の目的は、死んでよみがえる事だったからだ。

イエス様の平安は、あらゆる試練や重圧に耐える力であり、それは決して壊れない。
イエス様は、ご自分の平安を信じる私達に与えてくださる。

私達は、試練の大小を問わず、その只中でイエス様を信頼し、このお方の平安に自らをゆだねる事ができるのだ。

God Bless You!!

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