2013年9月26日(木)

2013年9月26日(木)


『感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ』詩篇100篇4節


「日曜礼拝に来る人達が、みんな説教台に立って、前に座っている会衆の顔を見る事ができればいいのに」と言った牧師がいた。
なぜなら、大半の人は牧師の話を聞いているように見えるけれど、「心ここにあらず」という人達が大勢いるのを知って欲しいから、と言うのがその理由だ。
礼拝が終わった時に、みんなの心がどこにいたのか分かれば、それは興味深い事だろう。

私達は、礼拝を捧げるために、十分に心を整えて参加しなくてはいけない。
心を込めて賛美を捧げ、御言葉を心に受け入れ、真理を求めるべきだ。
真理は、私達を神様に仕えるよう導いてくれる。

礼拝が退屈でがっかりしたと牧師を責める事は簡単だろう。
だけど、言い訳のように聞こえるかも知れないけれど、牧師もひとりの礼拝者に過ぎない。
私達みんなに、果たすべき役割がある。

礼拝から得るものがたくさんある人は、礼拝にたくさんのものを注いだ人だ。
礼拝の本質は、心から礼拝する事なのだから。

God Bless You!!

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