2013年9月12日(木)

2013年9月12日(木)


『しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である』ローマ人への手紙14章23節


例えば、パーティーに行く準備をしている時に、白いシャツを着たかったけれど、それが洗い立てじゃなく、一度袖を通していたので、汚れが目立たないか調べてみるとする。
だけど、この場合、「疑わしいなら、着るべきじゃない」というのが賢明だろう。
とっとと、シャツを洗濯かごに投げ込む方がいい。

同じように、良心に照らし合わせて疑わしいと思った時にこの事は適用できるんじゃないだろうか。

パウロがローマ書で書いている疑わしいものとは、肉やぶどう酒のたぐいだった。
人によっては、汚れているとみなしていたからだ。

パウロは、もし「間違った事では…」と疑いながらそれをしたなら、その行動は信仰による行動じゃなく、罪だと指摘している。
またクリスチャンの仲間をつまずかせたり、くじけさせたり、怒らせたりするのもよくないと指摘している。

私達は、他のクリスチャンが良心に逆らって行動するようなきっかけを与えてはいけない。
良し悪しのわからない行為や、良心にひっかかりを感じる行動に対して、このガイドラインはとても有効じゃないだろうか。

疑わしいなら、止める事だ。
なぜなら、「No!」と言う一言が、大きなトラブルから守ってくれる事だってあるのだから。

God Bless You!!

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