2013年6月17日(月)

2013年6月17日(月)


『されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた』ルカによる福音書23章3節


イエス様は、ふたりの強盗と共に十字架にかけられたけれど、その様子を描いたほとんどの聖画では、イエス様の十字架は他のふたりの十字架よりも高かったり、イエス様だけは、より高い丘で、十字架にかけられたりしている。

画家がイエス様を崇めようとした事はわかるけれど、当時の人達が、イエス様をふたりの強盗以上に考えていたとは想像しがたい。
イエス様を十字架にかけた人達は、普通の犯罪者として考えていただろうし、十字架の高さは、おそらく同じだったんじゃないだろうか。

この事を考えると、イエス様は両側の哀れな罪人の手の届かない所におられた訳じゃない事がわかる。
ふたりの罪人と同じ場所で、同じ状況におられたのだ。

これは、とても大切な事を教えてくれている。
イエス様は、ご自身に目を向け、信仰の手を伸ばそうとするすべての人の身近におられるという事を。

手には釘が打たれ、額にはいばらの冠が突き刺さっていた。
そして、人々は悪意に満ちた喜びの声を上げていた
「神の子なら、降りて来い!」と。
だけどイエス様は、私達のために十字架から降りて来られなかった。

だからこそ、誰でもイエス様のもとに来る事ができる。
そして、赦しと新しい命を、新しい人生を受け取る事ができるのだ。

God Bless You!!

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