2013年3月8日(金)

2013年3月8日(金)


『そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた』マタイによる福音書19章13節


わが子を、悪から包んで守れたなら…と願っている親は少なくないだろう。

だけど、「主よ、もう私の手には負えません。
一瞬たりとも目を離さず、一日中子どもを監視する事などできません。
一体、どうすれば平安を得る事ができるのだろう」と神様に問う親も少なくない。

このような祈りに対して、ひとつの問いかけがある。
それは、あなたは本当に子どもの事を心配しているのか、それとも自分に平安が与えられたいのかと言うものだ。

多くの親は、本当に子どもの事を心配し、心を痛めている。
だけど、その願望の背後には、親の恐れが見え隠れしている。
これは特に、母親に多く見られる傾向だけれど、それに対してイエス様のように、祈りで子どもを包むと言う選択肢がある。

イエス様は、親である私達以上に、子ども達の事を気にかけておられる。
だから、祈る事でわが子を神様の御手の中に送り出す事ができるのだ。

だからと言って、決して悪い事が起こらないと言う訳じゃない。
親としての責任を、放棄する事でもない。
祈りは、わが子が強く正しく成長させてくださる神様を信頼する行為だ。

だから、どんな子どもにも祈る親が必要なのだ。
そして、神の子である私達にも、祈る親が必要なのだ。

私達の親である、父なる神様は、今も神の子である私達のために祈っておられる事を決して忘れてはいけない。

God Bless You!!

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