2013年3月4日(月)
『わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ』ヨハネによる福音書13章15節
イエス様の生涯と、宣教の働きを思えば、主が希望といやしをもたらすために、いかにその手を使われたのかがわかるはずだ。
病気の人に触れ、子どもを抱き、飢えた人々のためにパンを裂いたその手は、私達の罪のために、十字架に釘付けにされた。
イエス様は、ご自分が死を迎える前夜、弟子達の足を洗うという、驚くような謙遜さをあらわされた。
罪ひとつ犯した事のない聖い御手で、罪に汚れた泥だらけな私達の足を洗われたのだ。
もし、私達も謙遜な心で自分の手をイエス様にゆだねるなら、主は私達の手を、主ご自身の手のように使ってくださるだろう。
今まで人々を傷付けた手が、癒しをもたらす手に変えられる。
今まで盗み続けた手が、与える手に変えられる。
姦淫を犯し続けた手が、今は祈りの手に変えられるのだ。
私達の手は、もはや自分自身のものじゃなく、主の手に変えられているのだから。
God Bless You!!
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