2013年3月31日(日)
『それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている』コリント人への第二の手紙5章8節
下校時間を楽しみにしている小学生のような気分で死を待つ事も、できなくはないだろう。
事実、こんな詩がある。
「やがて、終業のベルが鳴り、私の心は踊る。
嬉しげな叫び声と共に、学校は終わった。
授業が完了し、私は家に向かって駆け出す」
だけど、自分の死を喜んで迎えるクリスチャンはまれかも知れない。
不治の病に冒され、苦しい闘病生活をしていたり、孤独で何の楽しみもない老後を送っていれば、死を願う事もあるだろう。
だけど、大抵の人は、そんな事でもない限り、本能的に生きる事に固執しているものだ。
イエス様は、豊かな命を与えるために、この世に来られた。
その命は、今の世でもあり、来るべき世でもある。
この世で生きたいと願う気持ちは、決して悪い訳じゃない。
私達は、この世においても、イエス様から豊かな命をいただいている。
だから、精一杯生きる責任がある。
だけど、決して忘れてはいけない。
私達は、しばらくの間この世に一時滞在している者でしかないと言う事を。
クリスチャンにとって、死がまだはるか遠くにあっても、すぐそばに来ていても、復活されたイエス様を信じていれば、栄光に満ちた天国に入れるのだ。
やがて喜びの日が訪れ、私達は家路につく。
天国という家路に。
God Bless You!!
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