2013年3月27日(水)

2013年3月27日(水)


『こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい』テモテへの第二の手紙1章6節


たくさんのオウムが生息する村に、ある日、ハヤブサが降り立ち、軒先にとまっていたところを、家の人が捕えた。

村人達は、こんな鳥は見た事がなかったので、ハヤブサの羽根を刈り、かぎ爪を切り、くちばしを削って形を整える事にした。
そうすれば、この鳥も、村人達が見慣れているオウムのようになると思ったからだ。
だけど、ハヤブサは二度と飛べなくなってしまった。

クリスチャンは、イエス様に見習うべきだけれど、イエス様のようになるという事は、クリスチャン全員が同じ行動をするという意味だろうか。

答えは、そうであるとも、違うとも言える。

隣人に対して、何かあった時の反応は、誰であってもイエス様に似てくるようになるだろう。
だけど、ひとりひとりの興味分野や能力は、それぞれが神様の栄光のために用いられる、とても個性的でユニークなものだ。

仲間のクリスチャンに、息が詰まるような思いをさせないで、お互いの違いを尊重し合える者でありたい。

神様のご計画を成就するために、人に個性を与えて、違った才能を与えられたのは、ほかでもない神様ご自身だ。

ハヤブサをオウムに変えてしまうのは、とても愚かな事だ。

神の教会は、違った石で建てられている。
だけど、ひとつひとつが大切な石なのだ。
それぞれの大きさや形にふさわしい場所が、きちんと準備されている。
そして、それらは、しっかりと教会を建てるために用いられているのだ。

それぞれのクリスチャンには、違った働きが与えられているけれど、みんな同じ神様を愛し、仕えているのだから。

God Bless You!!

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