2013年3月26日(火)

2013年3月26日(火)


『わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」』イザヤ書6章8節


若い宣教師が、中央アメリカで働いていた。
彼は手紙で家族や友人にこう書いた。

一日中、小さい釣り舟に乗って人々を訪問し、夜になるとデッキで堅い枕に頭をのせて眠っている。
この地の人々は、私が語っている福音に興味がないようだ。
成果がまったくあがらない現状を目の当たりにして、サタンは私を誘惑する。

しかし、私は勇気を持って、気持ちを新たに進むのだ。
神が私を召したのは、成功するためではなく、神に忠実であり続けるためだという事を思い出しながら…。

預言者イザヤも、その任務の難しさに諦めかかったのかも知れない。
主は、イザヤの努力の結果は、人々は聞くが悟らず、見るが理解しない事だと言われたのだ。
人々の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は堅く閉ざされるだろうと言われた。

イザヤや若い宣教師の立場になってみよう。
私達だったら、頑張れるだろうか。
それとも諦めるだろうか。

私達にとって、誠実に主にお仕えするだけで十分だろうか。
それとも、主に仕えて成功して、人々に認めてもらわなければ、満足できないだろうか。

イザヤやあの宣教師は、神様から託された使命を実行した。
神様の御言葉を教え、神様の御心を信じたのだ。

最善を尽くして、その結果は成功であれ、不成功であれ、神様の御手にゆだねよう。
人は成功を褒めてくれるかも知れないけれど、神様は誠実を褒めてくださるのだから。

God Bless You!!

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