2013年3月16日(土)
『また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」』マタイによる福音書26章42節
もし、私達自身か私達の大切な人が不治の病にかかったとしたらどうするだろう。
癒しのために何度も祈ったのに、状況が好転しない時、なぜ神様は癒してくださらないのだろうかと不信を抱いてしまうのだろうか。
ある男性は、生まれつきひどい弱視で、ほとんど見えない状態だった。
でも彼が、祈りに答えるという約束を、神様が守って下さらなかったと文句を言ったのを聞いた事がない。
反対に、「私は目が不自由だけれど、人間としては不自由ではない」と語り、神様はもっと良いものをくださったと告白していた。
彼は更に、「私は祈りの力を信じてはいません。
私が信じているのは、神様の臨在であり、神様ご自身です。
だから、私は神様に祈るのです」と言っていた。
祈りは、神様の腕をひねって自分の願いを実現させる手段じゃない。
むしろ、どれほど神様ご自身を信頼しているのかを現わすものなのだ。
私達は、どんな祈りをする時にも、イエス様のような態度が必要なのではないだろうか。
「どうか、御心が行われますように」と。
God Bless You!!
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