2013年12月4日(水)

2013年12月4日(水)


『わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝している。これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである』コロサイ人への手紙1章3節~4節


褒められると、嬉しくなる。
だけど、褒められて喜んでしまう自分に、罪悪感を覚える人もいるかも知れない。
それは、結局、プライドの一種ではないかと思ってしまうからだ。

だけど、自分の行為を素直に褒めてもらって喜ぶのは、間違いじゃない。

褒められて嬉しいと認める事は、相手に人を励ます賜物があり、その人がその賜物を活かしていると認める事でもある。
彼らの褒め言葉は、私達の心を前向きにする。

もし、私達自身が、他の人を褒める事ができるなら、プライドに支配されていない証拠だ。
なぜなら、プライドの高い人は、自分の事で頭がいっぱいなので、他人に興味はなく、他人を褒めたいとも思わないからだ。

パウロは、コロサイの人々を思いっきり褒めている。
それが、彼らの励みになると知っていたからだ。
私達も、同じようにしたいものだ。

上手に何かができたら、子どもを褒めてあげよう。
子どもを連れて、熱心に教会に来ている共働きのお母さんを褒めてあげよう。
人助けをしても、当然のような顔をされている人を励まそう。
褒めるべき人の肩を、ポンとたたいて、感謝をあらわそう。
いつでも、神様と周囲の人々を喜ばせよう。

私達は、静かに人々をいさめ、声高らかに人々を褒める者でありたい。

God Bless You!!

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