2013年12月27日(金)

2013年12月27日(金)


『こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか』ヘブル人への手紙12章1節


アレキサンダー大王の率いる軍隊は、ペルシャに進攻していたけれど、ある重要な戦いに敗れそうになっていた。
兵士達の装備が、先の戦闘で得た多大な戦利品をかかえて重くなり、機敏に戦う事ができなかったのだ。

そこで王は、すべての戦利品を焼き捨てるように命じた。
家来達は、ぶつぶつ言ったけれど、すぐに命令が正しかった事を悟った。

ある書には、「まるで翼が与えられたようだった。
彼らは軽い足取りで、再び歩き出した」と記されている。
勝利は、確実だった。

キリストの戦士は、邪魔になるものをすべて捨てて、霊の敵と戦わなくてはいけない。
効率よく戦うために、必要なものは、神様の武具だけだ。

聖書は、またクリスチャンを競走の選手にもたとえている。
レースに勝つためには、スタミナを消耗させ、スピードを鈍らせる「いっさいの重荷」を捨て去らなければいけない。

この重荷とは、人によって様々だろう。
過度の所有欲や、金銭への執着かも知れない。
楽しみを追い求め過ぎたり、罪深い情欲に身をゆだねたり、律法主義に固執していたりする事かも知れない。
ひょっとしたら、自分の夢やビジョンだけを求めすぎて、それが重荷になっている人もいるだろうか。

信仰の戦いを勇敢に戦い、忍耐して信仰のレースを走り抜こうとするなら、重荷をおろせという言葉を忘れてはいけない。
なぜなら、信仰が進歩しないのは、この世の重荷が足を引っ張っているためかも知れないからだ。

God Bless You!!

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