2013年12月26日(木)

2013年12月26日(木)


『しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない』民数記11章6節


不満の原因は、「ない」事ではなく、自分の手の中に「ある」ものは大したものではないと感じる事ではないだろうか。

仕事や家庭や教会、配偶者の事でも、今あるものに対して、それらは自分の欲しいものじゃないと言う。
同じ状況が続くと、不満を感じだすのは、人間の本性だろう。

神様の民が、荒野で食事について抗議した事を覚えているだろうか。
彼らはエジプトでは奴隷だったのに、今は自由だった。
だけど、奴隷の時に食べた色々な食べ物を思い出し、神様が今、与えてくださっているものは単調だと嫌っていた。

毎日の必要は満たされていたのだけれど、彼らはもっとワクワクする何かを求め出したのだ。

私達も、同じじゃないだろうか。
私達の人生にも、神様からの光が何もなく、興奮に満ちる事もないという時がある。
あるのは、変わりばえのしない事ばかり。

だけど、この毎日の仕事を通して、神様は私達の霊性を鼓舞し、私達を救い出されるのだ。
神様が、常にワクワクする時を与えてくださる事だけを、期待してはいけない。
神様の御力によって、骨折り仕事の中を生きるすべを学ばなくてはいけない。

退屈な生活だと思う時にも、神様はご自分の人格を私達に刻み込もうとなさっているのだ。
退屈は、私達にとって、主の臨在を体験するチャンスでもある事を、忘れないで欲しい。
神様の祝福は、私達が務めを果たしながら歩む途上で見つかるのもなのだから。

God Bless You!!

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